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東京高等裁判所 昭和24年(行ナ)19号 判決

原告 西田倉蔵

訴訟代理人 高木郁哉

被告 高等海難審判庁長官

指定代理人 藤井長治

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告は「高等海難審判庁が同庁昭和二十四年第二審第五号汽船宗像丸漁舟日の出丸衝突事件につき、昭和二十四年八月三十一日原告に対して言渡した裁決を取消す、訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求原因として、

高等海難審判庁は、前示裁決において、原告は乙種船長の海技免状を受有し、総トン数九百八十一トンの汽船宗像丸に船長として乗組み、北海道釧路に向つて航行中、昭和二十三年三月十一日午前十一時釧路崎燈台を北三十五度東(以下針路及び方位は磁針による)距離九海里四分の一ばかりに見る地点において、針路を北東微北四分の一北(約北三十一度東)に転じ、釧路港口に向け一時間七・五海里ばかりの速力で進航し、正午十二時機関用意を命じた。当時本船の左舷船首四点(一点は十一度十五分以下同じ)距離〇・九海里ばかりの所に漁舟日の出丸(総トン数六トン)が同港に向つて進航していたが、原告はこれに気付かず、午後零時七分入港準備のため、機関を一時間五海里ばかりの半速力としたところ、間もなく日の出丸が左舷船首約五点半距離六七百メートルの所に、本船と三・四点の交角を有する針路を以つて同航しつつあり、その方位殆んど変更せず接近することを認めたが、原告はこの場合日の出丸が避航すべきものと考え、そのまま進行したところ、同船もまたそのまま進行し来り接近するを以つて、同時十四分頃短声一発の信号を吹鳴するとともに、右舵一杯、機関停止、続いて全速力後退を命じたが、同時十五分頃釧路港南防波堤燈台から南八十度西距離約一千メートルの地点において、両船は衝突するにいたつたものである。また日の出丸は時速四・五海里を以つて釧路港にむけ帰航していたもので、同船々頭田村吾作は、午後零時十四分頃宗像丸を右舷正横後約二分の一点、距離百二、三十メートルのところに認め、同船は日の出丸の後方を迂回して入港するものと考えたが、両船愈々接近するに及び、右舵をとり宗像丸の船首をすれすれに替わして同船の右舷に出たところ、同船が右転しつつあるを見てろうばいし、左舵をとつて反転したため、前記のように衝突したものであるとの事実を認定しているが、右の事実は争わない。

しかしながら、右裁決において、両船互に航路を横切るも無難に替わり行く場合、原告がみだりに機関を半速力としたため、両船の方位が殆んど変らなくなり衝突の虞を生ぜしめたのであるから、適宜の方法により日の出丸の針路を避譲すべきであつたのに、日の出丸において替わすべきものと思い誤り、両船極めて接近するにいたるまで、そのまま進航したのは不当運航であつて、これと日の出丸船頭が見張不十分であつたため危険が切迫するまで宗像丸に気付かず、ために臨時避譲の処置を誤つたことに基因して発生したものであるとし、原告の受有する乙種船長免状の行使を一箇月停止したのは、法の解釈を誤つたものである。

思うに海上衝突予防法航方前文には「衝突ノ危険ハ其ノ現況ニヨリ我船ニ近寄リ来ル他船ノ方位ヲ看守シテ之レヲ予知スルヲ得、若其ノ方位慥ニ変更スルヲ認メサルトキハ危険アルモノト知ルヘシ」とあり、同法第十九条には「二艘ノ汽船互ニ航路ヲ横切リ衝突ノ虞アルトキハ、他船ヲ右舷ニ見ル船ヨリ他船ノ航路を避クヘシ」とあり、同条の適用については、物理学的及び心理学的の両面から考えなければならない。即ち、相交叉する針路で接近する二艘相互の方位が、全く変更しないか、若くはその変更が微々としていて方位慥かに変更すると認められない場合で、且つ注意深い普通の船長が衝突ということに対して警戒心を生ずる程度の距離に二船が接近したとき、換言すれば、衝突の可能性が考えられるにいたつたときに、同条の適用が始まると解すべきである。而してその二船間の距離は一般的に何海里という風に膠柱的に考うべきでない。或は一海里説、一海里半説、二海里説があるが、一海里より少しとする説はない。これを本件についていえば、少くとも両船の距離約一海里(小型船の舷灯の光達距離の最少限に相当)に接近したとき、既に同法第十九条の適用ありと考えるべきで、それは、時刻にして午前十一時五十九分頃にあたるが、このときには、相互方位の変更が一分間〇・七度(十六分の一点)二分間でも一・三度(八分の一点弱)という微々たるものであり、これを求める測得方位の中に各々ある程度の誤差(中央誤差約半度、最大誤差約一度)を含むことを考えれば、この程度の方位変更では方位慥かに変更するということはできない。従つて衝突ということに対し多分に警戒しなければならないことは当然で遅くもこのときには衝突の虞があり、海上衝突予防法第十九条の規定の適用がある。

仮に被告主張の如く、午後零時二分頃、両船の距離約四分の三海里の時の相互方位の推定変化は二分間二・一度であるとしても、それは極めて微量であつて、日の出丸の如き小型船の装備では認識し得ないものであるから、右前文の「慥ニ変更スルヲ認メサルトキ」に該当し衝突の危険ある場合と認めなければならない。従つて、日の出丸は、宗像丸に対し避譲の義務があつたのに、その義務を履行せず、ために本件衝突をひきおこしたのである。この場合宗像丸は同法第二十一条本文の「本法航方ニ依リ二船ノ内一船ヨリ他船ノ航路ヲ避クル時ハ他船ニ於テ其針路及速力ヲ保ツヘシ」との規定によりその針路速力を保持する義務があり、午後零時七分機関の運転を半速力としたのは、この義務に違反したことになるようであるが、それは港口まで約一海里のところであり、入港準備として当然行うべきことを実行したものであつて、他船においても予想し得べきところであるから、宗像丸が針路速力を保持する義務に違反したということはできない。これを要するに、原告には海上衝突予防法上何等避譲の義務がないのにかかわらず、本件裁決が同法の規定の解釈を誤り、本件衝突の原因に関し同法第十九条の規定を適用しないで、原告に本件衝突の責任ありとしたのは失当であるから、これが取消を求めるものであると陳述し、

立証として、甲第一ないし七号証を提出し、鑑定人横田利雄の鑑定の結果を援用し、乙第十四号証の原本の存在及びその成立、その余の乙号諸証の成立を認めると述べ、乙第二ないし十三号証を援用した。

被告は「原告の請求を棄却する」との判決を求め、答弁として、原告は宗像丸及び日の出丸の相互方位の推定変化は午前十一時五十九分頃(両船距離一海里の時)においても、午後零時二分頃(両船距離四分の三海里の時)においても、極めて微量であつて、日の出丸の如き小型船の装備では認識し得ないものであるというが午後零時における二分間の方位の変更が二・一度あることは、航海者の平常行つている観測方法によつても認識し得るものであり、両船の距離の遠いときはその方位変更が微少であつても、漸次近づくに従いその量は増大するものであつて、適当な時期においてその変更が認識し得る量であれば十分であるから、本件の場合は海上衝突予防法航方前文の慥かに変更する場合であり、衝突の危険を予想すべき場合でないから、同法第十九条の規定を適用すべきでない。従つて又同法第二十一条を問題とすべき場合ではない。しからば、日の出丸は宗像丸を避譲すべき義務がなく、宗像丸がそのまま進めば無難に替わり行く状況にあつたのに、速力を減じたために両船の相互の方位が変更しなくなり、新たに衝突の危険を生じたのであるから、この危険を避ける義務は、これを生ぜしめた宗像丸にあるといわなければならないと陳述し、

立証として、乙第二ないし十五号証(第十四号証は写)を提出し、甲号諸証の成立を認めた。

理由

原告は乙種船長の海技免状を受有し、総トン数九百八十一トンの汽船宗像丸に船長として乗組み、北海道釧路に向つて航行中、昭和二十三年三月十一日午前十一時釧路崎燈台を北三十五度東、距離九海里四分の一ばかりに見る地点において、北東微北四分の一北(約北三十一度東)に針路を転じ、釧路港口に向け一時間七・五海里ばかりの速力にて進航し、正午機関用意を命じたこと、当時本船の左舷船首四点距離〇・九海里ばかりのところに、漁舟日の出丸(総トン数六トン)が同港に向つて進航していたが、原告はこれに気付かず、午後零時七分入港準備のため、機関を一時間五海里ばかりの半速力としたところ、間もなく日の出丸が左舷船首約五点半距離六七百メートルの所に、初めて、本船と三・四点の交角を有する針路を以つて進みつつあり、その方位殆んど変更せず接近することを認めたこと、この場合原告は日の出丸が避航すべきものと考え、そのまま進行したが、同船もまたそのまま進行し来り接近するを以つて、同時十四分頃短声一発の信号を吹鳴するとともに、右舵一杯、機関停止、続いて全速力後退を命じたが、同時十五分頃釧路港南防波堤燈台から南八十度西距離約一千メートルの地点において、両船が衝突するにいたつたこと、また日の出丸は時速四・五海里を以つて釧路港に向い進航していたもので、同船々頭田村吾作は、午後零時十四分頃宗像丸を右舵正横後約二分の一点距離百二、三十メートルのところに認め、同船は日の出丸の後方を迂回して入港するものと考えたが、両船愈々接近するに及び、右舵をとり、宗像丸の船首すれすれに替わして同船の右舷に出たところ、同船が右転しつつあるを見てろうばいし、左舵をとつて反転したため、前記のように衝突したものであることは本件当事者間に争のないところである。

そこで本訴の争点は、本件衝突の原因が原告の海上衝突予防法の規定する義務に違反した不当運航にあるか否かの点にある。原告は同法第十九条を適用すべき場合は、衝突の可能性が考えられるにいたつたときに始まるものと解すべく、本件につきいえば、少くとも両船の距離約一海里に接近したとき、時刻にして午前十一時五十九分頃に始まるものであつて、そのときの相互方位の変更量は二分間でも一・三度あり、仮に、被告主張のように、両船の距離が四分の三海里に接近したとき、時刻にして午後零時二分頃の相互方位の変更量が二分間二・一度であるとしても、何れもその変更量は微々たるものであり、航方前文の「慥ニ変更スルヲ認メサルトキ」に該当し、衝突の危険あるものと認め、同法第十九条により日の出丸は宗像丸に対し避譲の義務があると主張する。しかし、「同法第十九条の避譲の義務の発生時期については、同法に何等規定するところはないが、同法第二十七条の「本法ヲ履行スルニ当リ運航及衝突ニ関シ百般ノ危険ニ注意スルハ勿論」である旨の規定の趣旨からすれば、天候、船の大小、性能、地勢、潮流、風向、風力、吃水、第三船の存在等諸般の状況により、個々の場合にその時期を決定すべきもの」であつて、本件のように、日の出丸が「僅かに六トンの操縦容易な漁舟である場合には両船の距離が二海里、一海里、又は四分の三海里の遠距離のときにおいて避譲の義務履行の時期にありとすべきではない」。従つて原告が第十九条の義務発生の時期を両船の距離一海里のとき即ち午前十一時五十九分頃、又は四分の三海里のとき即ち午後零時二分頃であるとし、相互方位の変更量が微々であることを理由として、日の出丸に避譲の義務があるというのは失当たるを免れない。当事者間争なき本件両船の運航模様(別紙運航模様図に示すとおり)によれば、日の出丸の方位は宗像丸から見て午後零時零分には北微西四分の一西(約北十四度西)であり、同時七分には北西微北二分の一北(約北二十八度西)であり、その間の變更は一点四分の一(約十四度)であることが明かであるから、その方位は漸次變更しつつあり、そのまま進めば、無難に替わり行く場合であつて衝突の危険のなかつたのにかかわらず、原告が日の出丸の存在に気付かず、同時七分機関の運転を半速力にしたため、方位が變更しなくなり、新たに、衝突の危険を生ぜしめたものというべきである。原告は右減速は入港準備のため当然なすべきことをしたもので、速力保持の義務に違反したのではないと主張するが、この場合減速の必要ありとするも、半速力にしなければならないということはない。「港口まで相当の距離があるのであるから、そのまま進んで他船を替わした後減速するか、機関の運転を停止して他船が替わつた後進行するか、或は、新たに危険を生じない程度の減速をするか、その方法は種々あるのである。これを要するに、原告は日の出丸の存在に気付かず、入港準備として減速するに当り、新たに、衝突の危険を生ぜしめるが如き速力としたところに、本件の衝突の原因があるものと認むべく」、高等海難審判庁がその裁決において、これを同趣旨の見解の下に、原告の受有する乙種船長免状の行使を一箇月停止したのは相当であるから、原告の本訴請求は理由がない、よつて訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条に則り主文のとおり判決する。

(裁判長判事 斎藤直一 判事 藤江忠二郎 判事 山口嘉夫)

運航模様図〈省略〉

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